ログイン第 百十八話 すり抜ける風三月、九州は東京よりも早くに春の知らせがやってくる。 「梅……」 梅乃が山の木を眺めていると「春か…… お前と同じ梅だな」 高坂が微笑む。「はい。 私が吉原で拾われた時に梅の花が咲いていて、そこから名前を付けたとお婆が言っていました」「お前、捨て子だったのか?」 高坂が目を丸くする。「大体、吉原に居る人たちは女衒を通して売られたか、捨てられた者ばかりですから」 梅乃が微笑み、高坂が驚いている。(そんな凄いことを簡単に言ってのけるなんて……)「でも、生まれてスグだったらしく、寂しいとか悲しいとかの感情もなく吉原で育ててもらいましたから……」梅乃が話していると “ドカンッ― ドカンッ―”と音が聞こえてくる。「高坂殿、薩摩の砲が……」 医師団の一人が走って知らせにくると「マズイな…… 全員、道具を持って避難するぞ」 高坂が指示をする。全員が救護所に入ると荷物を集め、飛び出していく。梅乃も慌てて医療器具を集めた。「あちらから音が聞こえます」 「わかった。 反対方向に走るぞ」 高坂が指さすと一斉に走り出した。医師団の五人が走り、後方を負傷していた兵が守る隊列になっていた。
第 百十七話 もうひとつの開戦 高坂と梅乃が薩摩兵に救護所の中を見せて説得を始める。 「このように動ける兵ではございません。 この方々と私たちは戦とは無縁な状態でございます……」 梅乃が説得をすると 「左様。 ここは命を救う場所である。 それでも尚、殺すとなると武士の情けを薩摩は持たぬという事になるぞ」 高坂は鼻息を荒くする。 「貴様等……」 薩摩軍は鉄砲を高坂に向けたまま睨みつける。 「儂は医者として幕府に仕えておった。 そこには侍、武士道といった心を大事にしてきた者ばかりがいた。 お前達も武士なら同じであろう……」 高坂が凄んだ瞬間 “ガンッ―” 鈍い音が響く。 「高坂様―」 梅乃が叫んだ瞬間、高坂が後方に吹っ飛んでいった。 薩摩の兵が鉄砲で高坂を殴ったのだ。 「ちょっと、何をするんですか?」 梅乃が薩摩兵に詰め寄ると 「何だ、小娘が――」 薩摩兵が目を見開き、梅乃の頬を平手打ちする。 「キャッ――」 後方に倒れる梅乃に 「何をするんだ!」 ベッドから起き上がった政府軍の兵が向かって行く。 「なんだ? 動けるじゃないか!」 薩摩兵は梅乃を庇った兵に斬りかかった。 「あの……」 梅乃の上に政府軍の兵が覆い被さり、梅乃の顔に大量の血が流れていく。 「ああぁ
第 百十六話 強襲 敵襲と聞いた本隊は、小倉城に構えている部隊に伝令を送る。 明治九年は農作物が豊作な年であった為、値段が下落していた。 その為、農家たちが一揆を起こした萩の乱である。その頃から士族への締め付けも厳しくなったことで九州での乱が頻発していくことになる。 本隊と呼ばれる大木の部隊は動いていなかった。 「三原さん…… 私たちにできることは……?」 医師団の一人が訊くと、 「政治のことは解りません…… 私、十五歳ですよ」 梅乃がニカッと笑う。 梅乃は、いつの間にか頼られる存在になっていた。 「そりゃそうだ…… 梅乃は政治とは無縁の場所の出身だからな」 高坂が豪快に笑うと医師団の雰囲気が明るくなる。 「それにしても、吉原から医者になろうとはね…… 花魁だっけか? そういうのには興味がなかったの?」 「実家は遊郭ですが、姉妹もいます。 私にはむいていませんので姉妹に任せています」 梅乃がニコッとする。 「この戦が終わったら、三原さんの遊郭で宴でも開きたいですね」 医師団の一人が言うと 「お前さんの給料で払えたらな…… 梅乃の実家は大見世と言って、とんでもなく高いんだぞ」 高坂は何度か大名の付き添いで吉原に行ったことがあるそうだが、ただ恐縮するばかりで見世の名前までは覚えていなかった。 「へぇ~ どこの見世か気になりますね~♪ ウチは三原屋ですが、鳳仙楼や長岡屋など色々
第 百十五話 野営本隊 明治九年 十二月十日、近衛師団の第一陣が薩摩にやってくる。 「よし、荷物を脇に寄せて集まれ!」 近衛師団の陣営は野営である。 本拠地ではないので、建物を用意する時間がなかった。 相手は明治維新の立役者の西郷隆盛が率いる薩摩藩であり、強敵だ。 「まさか吉之助(隆盛)が乱を起こすとは……」 大木が深く息を落とす。 「それでは第一部隊から前へ!」 司令官の声が聞こえ、梅乃は黙って兵隊の動きを見つめていた。 「梅乃ちゃん、これから何が起こるか分かるかい?」 大木が訊くと、梅乃は静かに頷き 「戦《いくさ》ですね。 その為に呼ばれたのでしょう……」 視線を下に向ける。 「相手は西郷吉之助(隆盛)。 上野では政府の為にやってくれたのだが……」 「上野戦争で幕府のために戦った人が三原屋で働いています。 とても優しくて素敵な人なんです」 梅乃は片山の話をして自身の気持ちを落ち着かせている。 「そうか…… 忠義とは悪くないな。 この戦争が終わったら、その男と飲んでみたいものだ」 大木は力強く笑った。 すると、医師団の一人が梅乃を呼ぶ。 「三原さーん、医師はこっち~」 「はい、わかりました~」 梅乃は大木に頭を下げ、救護所の看板が立っている方へ向かって行く。 
第 百十四話 かんざし 海は静かに波を立たせている。 軍艦が白波を作り、しばらくすると穏やかな青い海に戻っていく。 「高坂様、一週間も船に乗っていますが薩摩とは遠い所なのですね……」 船酔いも落ち着いた頃、梅乃が甲板で退屈そうに話す。 「一ヶ月は掛からないが、まだ一週間だ。 まだ掛かるな……」 当時の船はスピードは遅く、丈夫さが重視されていた。 「三原さん、すまない…… 怪我をした人がいて……」 医師団の一人が呼びにくる。 「どうされました?」 梅乃が慌てて船内に向かうと 「ううぅぅ……」 兵隊の一人がうずくまっている。 「どうかされましたか……?」 梅乃が兵隊の肩を持ち抱えると 「腹が……」 兵隊は腹痛になり、屈んだ時に船の揺れで頭部を裂傷していた。 「医務室に行って手当てをしましょう」 梅乃が兵隊を起こし、連れていかせようとする。 「待て! 勝手に持ち場を離れることは許さん!」 同じ兵隊の上官なのだろう。 胸元には沢山のバッチが付いていた。 「体調が悪いし、頭から血も出ております。 手当てが済んでから戻れば宜しいじゃありませんか」 梅乃は懇願するような目で上官を見る。
第 百十三話 里はいずこか 「わぁ~♪」 梅乃は感激していた。 人生で初めて船に乗り、海から見える陸をみて喜んでいる。 「梅乃ちゃん、船は初めてかい?」 大木がニコニコしながら訊くと 「前に小さなタライ船に乗ったことがあります……」 梅乃はケロッと話す。梅乃がタライ船に乗ったのは玲たちに誘拐された時だ。 宴席でその話を聞いた事があった大木は思わず苦笑いになっていく。 (そんな壮絶な経験をアッサリと……) 梅乃が海面を見ていると小さな魚が跳ねている。「大木様、これは何という魚でしょうか?」 梅乃が訊く。 キラキラした眼に大木は思わずドキッとしてしまった。 (いかん…… 梅乃はまだ十五歳じゃないか……) 陸から離れ二日、近衛師団や医師団は顔を青くするようになっていく。 「うえ~っ―」 船酔いである。 「大丈夫ですか?」 梅乃は船で救護にあたった。 「軍艦は揺れるからな…… そのうち慣れるよ」 大木は笑っている。 (医師団は船に乗らないから解るが、兵隊さんも?) 梅乃が首を傾げる。 近衛師団は天皇直轄の陸軍であり、初めて船に乗る者も多かった。 軍医の一人の年配男性がやって来て梅乃に話す。 「これは船酔いと言って、揺れからくるものだ。 数日すれば治まるよ。 それまでは嘔吐や熱が出た
第十一話 玉菊《たまぎく》灯篭《とうろう》七月、蒸し暑い吉原では活気が出てきていた。酒宴も多く、大見世から河岸見世まで客が溢れている。「おはようございます。 潤《じゅん》さん」 梅乃は男性職員に挨拶をする。「おはよう。 梅乃は、いつも早起きなんだな~」 そう言って、梅乃の頭を撫でる。この男性職員は 片山《かたやま》 潤一郎《じゅんいちろう》と言う。 いつも笑顔で、爽《さわ》やかな若い衆である。「今日も、ここを頼めるかい?」 片山は、梅乃にホウキを渡した。梅乃がホウキで掃いていると、少し後に小夜がやってくる。「梅乃、おはよ♪」 小夜はニコニコしていた。「どうしたの? なん
第十話 月下の涙 昼見世の時間、菖蒲は張りから外を眺めていた。 そして、誰かが通れば笑顔を振りまくが苦戦をしている。 「はぁ……」 菖蒲はため息をついていた。 「菖蒲姐さん……」 張り部屋の外から梅乃が声を掛ける。 「なんだい? 今は昼見世の時間。 何の用だい?」 「はい。 コレを持ってきました」 梅乃は、張り部屋の戸を少し開けて紙を中に差し出す。 「んっ? 何これ……ぷっ」 菖蒲が紙を見て吹き出した。 その紙は、梅乃が書いた菖蒲の似顔絵であった。 「なんだい? もう少し、上手に描きなさいな……」 菖蒲は笑っていた。 「へへへ……姐さんの笑顔が見たくて描きました」 梅
第九話 母の声五月、桜の花が全て葉に変わった頃、一人の妓女が吉原から出ていく。長年、三原屋のトップに君臨していた玉芳が身請けされるのだ。「本当に、この時が来るなんてね……」 采が涙ぐみ、話す。「今まで、本当にありがとう……母様《ははさま》」 そう言って、玉芳が采に抱き着いた。三原屋は、とてもファミリー感覚な妓楼である。「父様《ととさま》も、本当にお世話になりました」 ここでも玉芳が文衛門に抱き着いた。一階の大部屋では、祝賀ムードになっていた。妓楼の見世先には大量の花が届き、幕《まく》まで出していた。「おや、梅乃は?」 玉芳がキョロキョロして梅乃を探していた。「こんな
第八話 覚悟の時「えっ? こんな昼間に共ですか?」 梅乃と小夜が驚く。「そう。 勉強をしましょう」 玉芳は、そう言って出かける準備を始めた。そして向かった先は、仲の町にある瓦版《かわらばん》であった。「ごらんなさい。 ここに沢山の記事があるでしょ! ここから文字や出来事を頭に入れなさい」 梅乃と小夜は、瓦版を覗き込んだ。「これは何て書いてあるんですか?」 小夜が玉芳に聞くと、「これは、法度。 禁じられてる事を言うのよ」 玉芳は丁寧《ていねい》に教えていた。そこに鳳仙が現れた。「おや? 玉芳花魁、今日は昼間からどうしました?」「あぁ、鳳仙か……この娘たちの勉強さ。 妓楼